「知る」から「考え、対話する」へ
1年次に哲学と史学を平行して学ぶなかで、史料から事実を深堀りすることよりも、「その時代の思想家や当時の人々の感情」への関心が強まり、哲学科に進みました。学科選択のきっかけとなったのは、哲学科の「社会思想史」の授業です。例えば、高校の教科書で学んだホッブズは、『リヴァイアサン』において「万人の万人に対する闘争」という人間の本質を説き、絶対王政を擁護した「恐ろしい思想家」というイメージでした。しかし、原典を読み解くと、彼が真に求めていたのは「人々の平和と安全」であり、現実社会の変革を直接目指すというよりも、1つの「問い」を投げかけていたという本質に触れることができました。
この経験から、哲学を学ぶ魅力は、単に思想を知識として「覚える」ことではなく、残された「言葉そのもの」を現代社会と照らし合わせながら深く「考え」、文章を通して思想家と「対話」することにあると思うようになりました。この「考え、対話する」というプロセスが、時代や文化を超えて、人間の根源的な問題に迫る哲学の本質であり、私が哲学に惹かれる理由です。
哲学科での学びから得たもの
哲学科には、哲学?倫理学や美学?芸術学、キリスト教学、日本思想史学など様々な分野があります。履修の自由度も高いため、自分の関心に応じて授業を選択できるところが大きな魅力です。
例えば、「美学?芸術学特講」では、アンリ?グイエの「劇的範疇」について学びました。グイエは、劇のなかで「何が語られているか(ストーリー)」ではなく、「誰が、どのような目的で、誰に向かって、どのような行動を取っているか」という、劇の基本的な要素の関係性を類型化し、そのパターンから作品を読み解くことで、劇の骨格を浮き彫りにしています。
この視点から、好きなアニメ作品に応用して考えてみました。単純に「物語が面白く」観ていたものを、主人公と他の登場人物との関係性において、どういう立ち位置で描いているのかなど「劇的範疇」に沿って考えてみると、新しい発見があり、過去の哲学者が想像していなかったであろうアニメにも理論が当てはまることに面白さを感じました。こうして自分で自由に応用して考えられることも哲学の魅力だと思います。
また、「聖書学特講」では旧約聖書について学びました。大学に入るまでキリスト教にふれることがなかったのですが、聖書は世界で一番売れている本でもあり、授業を通じて、西洋哲学が、聖書の提示する根源的な問いに対して「それは本当か?」と問い直すことから始まっていることを知りました。聖書という「思索の土台」を知ることで、人間存在、倫理、社会といった根源的な問いに対し、過去の哲学者たちがどのような歴史的背景を持って向き合ってきたのかをを理解することができ、とても興味深く感じました。
正解のない問いと向き合う面白さ
哲学は、いまだに答えが出ない問いが多く、考える過程に様々な発見があることが楽しいです。また、先生や友人との対話のなかで発見することも多く、特に、「哲学対話」では、どんな意見も否定をしません。一つの本を読んで対話すると、同じ本でも感じることはそれぞれ違います。一人で考えていても絶対に出てこない視点が出てくるのがとても楽しいです。ただ、個々が自己を深く考察しながら、論理や根拠にそって考えを落とし込むことも大切で、それによってディスカッションがより深まるということも、哲学科での学びを通して実感しています。
高校の進路指導では、将来のキャリアに直結する学びが重視されがちですが、私はむしろ「純粋に学びたいことを学ぶ」ということに大きな意義を感じていました。哲学を学んだことで、表層的な問題の奥底にあるものがみえてきて、かえって斬新な視点が得られるという体験をすることも少なくありません。
また、聖心での多様な学び(リベラル?アーツ)に触れるなかで、教育分野への関心が生まれ、もともと興味のあった社会科?地理歴史科?公民科の教職課程も履修しています。哲学的思考は、社会の原理や構造を扱う点で、それらの科目と通ずるところがあります。一つの学びが、他の分野と結びつき立体的に浮かび上がってくる感覚は、哲学と教職課程を一緒に学んでいるからこそ得られたと思います。
現代は、文化が多様化し、物事の本質が見えにくい不透明な時代だと思います。このような時代だからこそ、原理に立ち返って物事を根本から考察する哲学の力が、将来、教員となったときにも役立つと考えています。
聖心は、一人ひとりのオリジナリティを尊重してくれる大学です。哲学を学んだことで、有限な人生のなかでやりたいことをやるべきだという視点を持つようになり、物事により積極的に挑戦できるようになりました。これからも、チャレンジをしながら、自己成長していきたいと思います。
- 哲学科
※所属?肩書きを含む記事内容は、インタビュー時(2025年)のものです。